幻冬舎版/よみがえる大野・日本語タミル語接触言語説の展開 (含・正誤表)

幻冬舎版/よみがえる大野・日本語タミル語接触言語説の正誤表

垂乳根(たらちね)の母


万葉集4348歌に「多良知禰乃(たらちねの) 母を別れて まことわれ 旅の仮廬(かりほ)に安く寝むかも」などと歌われる「たらちね」であるが,通説は「垂れた乳の」「満ち足りた乳の」の意味とする.



しかしながら,幾ら古代だからとはいえ,息子が自分の母を「垂れた乳の」「満ち足りた乳の」などというであろうか.しかも父(ちち)にも掛かるのである.もっとも,父に掛かる場合,タミル語cuci[胸(breast).乳房(udder)]と音が類似するtiti(乳)と父を掛けた遊び心かも知れない.




万葉集2364歌に「かくのみし 恋ひば死ぬべみ 垂乳根の 母にも告げつ 止まず通はせ」とある.


「このように(激しい)恋をしてしまったからには死んでしまうだろうから(垂乳根の)母にもこのことを告げましたので,これからもずっと通ってください」という意味である.


この歌は,当時の社会が母系制であることを物語っているようではあるが,だからといってたくましい母と繋がるかどうか.


なお,この「かくのみし」の「のみ」をタミル語nēm-am[運命(destiny),宿命(fate)]の古形*nām-amからのa/o交替形nom-iとみると,「このような運命で(激しい)恋をして・・・」となる.


他例に乏しいのが難ではあるが.山上憶良の万葉集886歌「世間(よのなか)は かく乃尾(のみ)ならし 犬じもの 道に伏(こ)してや 命過ぎなむ」の「乃尾」も「こういう宿命なのだろう」と解すれば意味がよく通る.


川本崇雄(たかお)氏は「日本語の起源」(河出書房新社)において,「南島祖語*ina(母)がオセアニア地帯で*tina(母)として現れたこと,また南島祖語*Da(複数)が<崇敬>ないし<親愛>を示す要素となり,しかも時には重複系*DaDaとして使用されることに気がついて,この*DaDaは『タラチネ』の『タラ』,*tinaが『チネ』だと考えた.(中略)結局タラチネの母というのは<母の母>だ」(p.149)とされる.



確かに枕詞は後接する語彙の想起詞でもあるとはいえ,ではなぜ*DaDa・*tina,即ち「崇敬・母」が「母の母」となるのであろうか.
それに母の母では祖母になってしまうのではあ
るまいか.


また,例えば中部大学国際関係学部,近藤健二教授の論攷「垂乳根と子宮と同胞」[人文学部研究論集 (23号), pp.101-131, 2010-01]は次のように解く.


ここで予断的に述べてしまえば,「垂乳根」の原義は「子宮」あるいは「腹」のことであり,「垂乳根の母」とは「子袋のある母」のことであった.
そして,「子宮・腹」を表す語から親族名詞を中心とする一連の語が派生した.(略) 「垂」と同源の語を日本語以外の言語に探してみよう.
そのような語はあちこちに見つかる.たとえば,インドのドラヴィダ語族のクウィ語における dālugara「子宮」の dālu- やトルコ語における döl yatağl「子宮」の döl は,そのような語であると思われる,(後略) 
 


なお,引用文中のdāluにつきDEDRは1123参照として,「子牛(calf)」の意味とする.ともあれ,女性であれば腹はいわずもがな,子宮もあり,殊更,母のみにそれが掛かるというのは奇妙である.
それに如何に古代人とても,自分の母に対して「垂れた乳」だの「子宮」の如き浮世離れした呼び方をするわけはないであろう

「たらちね」は以下のタミル語との対応と考えた方が現実的である.
たらちね
●タ callic-u  優しい(gentle).


○日 tarat-u    タラツ.順行同化.c/t交替.

○日 tarat-i    タラチ.

タミル語c-が日本語s-ともt-とも対応するのは,タミル語c-が/∫/の音価をも併せ持つからで,この例ではcall-は「シャル」あるいは「チャル」とも聞こえるため,日本語では「サル」か「シャル」「チャル」の選択が迫られる.この場合は「チャル」から「タル」となり,順行同化で「タラツ」となったであろう.



タ nay      母(mother).
○日 n-e      ネ./ay/→/e/交替.


「垂乳根」という当て字をするのは,万葉人もその意味がわかっていなかったのであろうか.ともあれ,古代人にとっても,母は「優しい母」であったようである.では,この優しい母にことを告げる娘の「むす」は,どういう意味であろうか.恐らく,以下のような意味であろう.


◆息子(むすこ)・娘(むすめ)

●タmutt-an      <子供のごとく>喜びを与えてくれるもの(one who gives
pleasure, as a child).
○日 mus-u        ムス.(tt/s交替).


以下の名詞と同源である.
●タ muttu       喜び(joy).愛(love),愛情(endearment).


日国辞は息子を「陰茎の異称」ともする.このpenisを「ムスコ」というのもこのタミル語によるであろう.この場合の「コ」はタミル語kōcam(penis)の-c-脱落形である(一音節語において述べた「卵(こ)」と同一の語).


「たらちめ」という場合の[め]はタミル語peṇ [女(woman),娘(daughter).少女(girl).花嫁(bride),妻(wife)」のwomanか,miṅ[女(woman)],あるいはmoy[母(mother)]という語もある.
枕詞であれば,意味的にも音韻的にもmiṅが相応しいように思える(i/e交替).