幻冬舎版/よみがえる大野・日本語タミル語接触言語説の展開 (含・正誤表)

幻冬舎版/よみがえる大野・日本語タミル語接触言語説の正誤表

言語学界の長老・・・松本克己氏の大野説批判 その十

松本(まつもと)克己(かつみ)氏の大野説批判
言語学界の長老,元・日本言語学界の会長でもあられた松本(まつもと)克己(かつみ)氏は, 日本語タミル語起源説を"理論的”に批判している学者としても知られる碩学である.確かに,一見理論的である.同氏は日本語縄文語説を唱えておられる.


即ち,松本氏は「日本語は(中略)決して外部からもたらされたものではなく,縄文時代以来,この列島内で行われた数多くの言語のひとつだったと見てよいだろう」とされる.
しかし,何故にやまと言葉だけが列島内他言語を差し置いて圧倒的優位のポジションを得たのかの説明はないのでこの仮説には疑問が残る.また数多くの言語のひとつだったという自説の根拠として同氏は,上下(ウエとシタ,カミとシモ)などの同義語の併存がそういう多言語の証拠のように言われる.しかしながら,「カミ」「シモ」「ウエ」「シタ」は以下のタミル語との対応なのである.


*頭(かみ)・髪(かみ)・上(かみ)
●タ kam    頭(head).
○日 kam-I  髪の毛の「かみ」.
○日 kam-i  頭.石川県河北郡方言.宮崎県日向方言では,「カミがうつ」(頭が痛い)という.これは日葡辞典にも載るほどなので,当時は近畿以南で一般に用いられた語のように思われる.なお,「髪」「頭」の「み」も甲類の音である.


○日kam-I   上(かみ).これも甲類の音であるので対応する.つまり,「上」はheadを意味する.なお,守(カミ)・皇(カミ)・頂(カミ)という和訓もある.これはタミル語cami[支配者・首長・君主(lord),最高位の存在(the supreme geing).長・守(chief),指導者(chieftain),主人(master))との対応である(ca/ka交替).


*下(しも)
●タcinm-ai    粗野・下等(coarseness), 無教養・育ちの悪さ(vularity).
○日sim-o     下(しも).「下々はカミに従へ」などという.


*上(うへ)
●タ uv-an    上の所(upper-place).
○日 uf-e     上.v/f交替.


*下(した)
●タ cit-aiyar   育ちの悪い下品な人々(low, mean people).
●タ citt-ai    低いこと(lowness),悪いこと(badness).
●タ cit-ai     育ちの悪い人々(low persons).
○日 sit-a     下(した). citt-aiとの対応. 


日本語が縄文時代からあったとすると,では上記のような意味不明語が,なぜタミル語で解けるのであろうかということになる.もっとも日本列島が多言語エリアであったこと自体は十分あり得ることである.台湾もフィリピンも多言語エリアである.


タミル語が列島に定着したのも,当初は多言語エリアの一角(九州)に比較的高度な文化を持ったタミル語話者の言語が接触し,列島の各縄文人は交易や文化吸収のためその受容が必須であったであろう.あるいは列島は縄文語一語であり,そのかなり変容した方言が列島各地で話されていたとすることも可能である.しかし,結果は同じである.


一説にアルタイ諸語話者やオーストロネシア諸語が日本にやって来たとする説もあるが,それは事実にせよ,相当古代のことであろう.彼らが日本列島において独自の縄文文化を形成したと思われる.そこにタミル語が到来し,その結果,当該接触言語が列島各部族へ伝播して行ったとすれば,当然,諸部族により音韻対応が異なって来る.そこで方言差が生じ,記紀万葉集時代には既に互いの言葉が通じなくなった程に音韻の交替があった.


同氏はその著,「世界言語のなかの日本語」(三省堂.2007年)の中で大野説につき,次のように書かれる.なお,同氏の論攷は大野氏が比較言語学的アプローチから接触言語説に移った2000年より7年も経過した後の論攷なので,あくまでも松本博士が大野説を接触言語説の視点から判断されていると判断し,掲載した.


もっと驚かされるのは(中略)「c-脱落型」である.問題の語頭子音でも(タミル語)ceppu→(日本語)ifu,(タミル)uppu→(日本語)sifoのように自由自在に対応語を作り出せる仕組みとなっている.さらにまた,大野氏の対応語のハイフンによる形態分析もまことにアド・ホックというか,融通無碍というか,例えば同じ4段動詞が「切る」ではkir-,「聞く」ではki-となって,その時々の都合でどのようにでも分割できるかのようである.


このような「驚き」は,多少なりともタミル語のintroductionを眺める暇も惜しむが如く,性急に大野叩きに奔(はし)った結果によるものであろう.あたかも,ご自身が言語学者であるという立場を忘れておられるかのごとくである.海外の言語学者がこれを読んだら,実際呆(あき)れるかも知れない.


「c-脱落型」などは既に述べたように遠(とう)の昔,70年以上前に,既述のBurrowによって明らかにされ,またBurrow以外にも論攷があるのだが,どうやらお読みになっていない様子である.したがって,「もっと驚かされる」 ことになる.しかし,その驚きの原因は松本氏自身の責めに帰するであろう.


日本語「切る(to cut)」はタミル語kīṟuと対応する.このkīṟuには「跳ね越える(to
pass beyond)」という意味もあるが,これは「100mを切る」などとして,今日でも日
本語として用いられている.


「聞く(to hear)」に対応するk-で始まる語は,TLにはkēḷ[聞く・聴く( to hear, hearken, listen to)]しかない.またこの語には「治療効果がある(to effect a remedy),治す(cure))という意味もある.これは日本語「効く」と対応する.「匂いを嗅ぐ」ことも「聞く」というが,これはシナ語「聞香」の「聞」を日本語内部で「きく」と訓じたことによる.


巻き舌音の/ḷ/は日本語/y/とも対応するので,日本語ではkiy>kiとなったであろう.これに動詞接辞kuを接辞させ,kikuという語を日本語内部で作った.したがって,タミル語にはkikuという語はない.それだけの話である.「その時々の都合でどのようにでも分割できる」わけではない.日本を代表する言語学者のお一人でもあろう松本氏が,このように軽々と覆せるようなことを言われるとは,実際信じがたいものがある.


この「古形」における/c-/の存在(言い換えれば後期形におけるc-の脱落)は,大野説が認められた暁には,どの語がc-脱落形か,日本語古典資料との対比でかなり明らかになり, バロウ(Burrow)博士の主張の補強となるのではないか,と私は思っている.タミル語と日本語との語彙,文法対応は大野「形成」でわかるように接触言語という範囲内で顕著なものがあるので,c-脱落の実態が日本語との対比で鮮明となることは喜ばしいことであろう.


松本氏は(タミル語)ceppu→(日本語)ifuとなることをもって,自由自在に対応語を作り出せる仕組み,と主張される.碩学がそう断定すると,何も知らない我々はその発言を信じるであろう.しかし中には私のような物好きがいて,調べる.ceppuには「いう(to say),話す(speak)」という意味がある.この/c/脱落型は日本語ifuと対応する(e/i交替).一方,タミル語にはēvuという語もある.
この語も「話す(to speak),いう(to say)」という意味を持つ./pp/と/v/は別に述べるように交替し得るので,ēvuはceppuのc-脱落形と見做しうるのである(e/i交替).このようなことはよく調べればわかるはずなのだが,松本氏は調べることすらなく,ただただ驚かれるのには違和感を覚える.


比較言語学を「色」という語に置き換えると,松本氏は色眼鏡で大野説を見ているのであ
る.この色眼鏡は,比較言語学では正しく本領を発揮する.したがって,上掲「世界言語のなかの日本語」は,大野説に関する論攷を除けば,秀逸な内容の著作なのである.だがその色眼鏡を同氏は遂に外(はず)されることはなかった.
ちなみにタミル語では,「外(はず)す」はveṭṭuの交替形*vaṭṭu[取り除く(to remove)]との対応でfad-u>fazuとなる.-suは日本語内部での後接である.


その眼鏡で大野説を見ると,大野説は何とも奇妙で乱雑な内容に見えてしまうのである.そこで同氏は大いに驚かれることになる.


大野氏によれば,日本語の使役動詞を作る-su-は,タミル語の-ttu-に「まさしく対応する」という.もしこれが真の対応であれば,そこから日本語/s/,タミル語/tt/という音韻法則が導かれる.しかしこの法則は,一方で,日本語完了助動詞/tu/,タミル語/tt/という対応も,日本語助詞/tu/に対するタミル語/attu/のペアも,対応語の仲間に入ることを許容しない./s/,/tt/に対して
例外を作るからである(p.36). 


これもまさにその通りなのである.ただし,色眼鏡で見れば,という前提条件が付く.タミル語重子音,即ち子音連続は日本語では許容されず,タミル語/tt/は日本語では/t/あるいは/s/との対応となる(場合によっては/tt/は促音化,あるいは有声化の起因ともなる).したがって,日本語の使役動詞を作る-su-は,タミル語の-ttu-に「まさしく対応する」のである(t/s交替).タミル語/attu/は日本語では格助詞となり「浜(はま)都(つ)千鳥(ちどり) 浜よは行かず」(「古事記」・歌謡)などのように用いられる.


「浜」はタミル語pāmpu[川あるいは池の岸(bank of a river or tank)]と対応する.これは「蛇」と同じ語だが,後に使いわけされたであろう.


村山「日本語の語源」(p173)によれば,「八重山方言でpamaという.音義両面から日本語のハマpama<pamma(八重山方言から推定)<*pampa『浜』と比較できるのはタガログ語のpampan(引用者注・・・末尾のnは鼻音)『勾配の緩やかな砂の浜』『浜辺』」とし,タガログ語と同じ単語が他のインドネシア系言語(とくに台湾の)のうちにみつかるならば,日本語のハマ(浜)の語源も確かとなる」とする.


TLでは/attu/の動詞形「結合させる(to unites)」という語が載るが,おそらくこの語を文法化させたものであろう.サンガムではVāṉattu mīṉで「vāṉ(空) attu(つ) mīṉ(星)」 を意味する.上記「古事記」の場合,格助詞として「浜」と「千鳥」を結合させて「~にいる」という意味を持たせている.


/attu/の/a-/が脱落するのは,日本語語彙は母音終わりなので,/attu/の前には必ずその前接する体言の母音との間で母音連続を生じるので,/attu/のa-を落とし,また,日本語では子音連続を許容しないので/tu/となる.なお,/attu/については大野「形成」に詳述されている.


また,同氏の「母音間の-v-は,(タミル語)kavarが日本語kaf-a(河)では-v-.-f-(となって現れ),(タミル語)tuv-alは日本語tubasa(翼)として-v-.-b-となって(現れ),首尾一貫しない」(同p.40)という主張,即ちv/f,v/bという対応の2重性は,タミル語では/v/は/p/と容易に交替することが起因である.つまり,接触言語として,聞き手の縄文人にとってはどちらとも聞こえるため,当初は混乱があったと思えるが,やがて/f/あるいは/b/へと収斂されて行ったのである.TLではタミル語cavi[祈る(to pray)]はcapi[祈る(to pray)]でもあり,またcepi[祈る(to pray)]であるごとく,/p/と/v/は共存する事実もある.


TLをみると,次のような語彙の形が随所に見出される.
●タ tāvu      死ぬ.滅びる(to perish).
●タ tavvu     死ぬ.滅びる(to perish).
●タ tapu     死ぬ.滅びる(to perish).
●タ tappu    死ぬ (to die).
●タ tēmpu    死ぬ.滅びる (to perish).
●タ cāmpu    死ぬ.滅びる(to perish).
これらの語はいずれも日本語「倒(たふ)る=死ぬ.滅びる」と対応する.
○日 taf-u・ru   倒(たふ)る.後,「倒れる」となる.


これらからすると,タミル語では/v//vv//p//pp//m/が非常に近い音であることがわかる.してみると,タミル語/v//vv//p//pp//m/が日本語/w//b//f//m/のいすれかと交替する理由は,日本語が接触言語であることの他,タミル語内部の事情もあると思われる.それ故,kavarが日本語kafaと交替するのは,タミル語の音韻環境の問題でもあるのである.


この事実をご存知なく反論するという邪曲には言葉がない.これら松本氏の主張で明確になるのは,タミル語と日本語を接触言語として論じた大野「形成」をまったくお読みになっていないとしか思えない,という事実である.


日本語ではタミル語の長音はほとんど短音で対応しているが,古代日本列島人の聞こえにより,avv-ai,即ち「アヴァ」が日本語で「アワ」「アバ」「アッパ」ともなり得るのであり,その内,一部が日本語方言app-aとして残った,というに過ぎない.
即ち,大野説が首尾一貫していないわけではなく,タミル語自体がこのような特性を持っており,その影響が日本語にも及んでいるのである.これらの事情を勘案せずしての反論は到底academicalとはいえないであろう.


このような事情で,上記kavarはv/f交替で日本語kafaとなったであろう.そして,「つばさ」と対応するタミル語はceppaṭṭ-ai[翼(wing)]との対応である.タミル語では,c音は∫音でもある.また/pp/は有声化しやすい.したがって往古の末期縄文人はこれを「チバサ」と聴いたであろう(ṭṭ/s交替).これが経年変化で「ツバサ」となったと思われる.


なお,例えば「幣(ぬさ)」という語がある.日国辞は「神に祈る時にささげる供え物.旅に出る時は,種々の絹布,麻,あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し,道祖神の神前でまき散らしてたむけた」とする.これと対応するタミル語はnīṭṭ-u[<供物のように>奉納する(to offer,as oblations)]である(u/i交替.動詞の名詞化).


この/ṭṭ/は巻き舌音で,しかもそれが子音連続で2つ連なっているため,巻き舌音自体が声帯振動を伴なう有声音生起形であること,また子音連続も有声音を生起する原因となるので,/ṭṭ/は日本語においては/nd/あるいは後に/z/となるべきものである.
ところが,日本語ではnud-a(ぬだ),nuz-a(ぬざ)ではなくnus-a(ぬさ)なのである.おそらく初期対応では*nudaであった可能性が高い.タミル語と日本語におけるこのような事情から,タミル語/ṭṭ/は結果的に日本語/nd/にも/t/にも/s/にも対応するのである(/s/の例は少ない).
このように,タミル語巻き舌音は日本語では有声音で対応したり,無声音で対応したりする.松本克己氏はこのようなタミル語自体が持つ事情はお調べになってはおられない様子なので,上記のような驚きを敢えて書かれているのであろう.


松本氏は大野氏が2000年に大野「形成」において日本語はタミル語の接触言語であるとして論じているにも関わらず,あくまでも比較言語学(系統論)の学理で押し通し,大野説に関してはすべて偶然の一致で済まそうとされる(「世界言語のなかの日本語」.三省堂.2007年.pp.20-41).


松本氏ご自身も前掲書において,「奈良・平安の時代になっても,国内にさまざまな違った
言語が存在したらしいことが「出雲風土記」や「東大寺諷誦文稿」などの記事からも窺われ
る」(p.9)とする.であればなおさら,u/a,u/oなどの交替も必然ではあるまいか.


接触言語というのは,ごく単純にいえば,言語接触により,他国の言語の片言言葉(これをピジン語という)を喋る親たちの次の世代が,その言葉をいわば母国語,あるいは日常あらゆる分野で用いる言語とした,そういう状態にある言語のことである.


◆日本語の系統樹


大陸で,しかも人を主体とした言語の移動であったら,ギリシャ語mitéraがラテン語materに,また順不同だが,リトアニア語motina,ドイツ語Mutter,オランダ語moeder,イタリア語・スペイン語madre,チェコ語matka,カタルニア語mare,ロシア語matʹ,デンマーク語mor,そしてドイツ圏からの人の移動で英語motherへと移り変わる.これを整序すれば系統樹ができ上がる.


しかし,日本語は南部ドラヴィダ語族のタミル語を喋るタミル人との接触で成立した(祖語をタミル語とする)接触言語である.そして,端的にいうと如上の印欧語族に見られるような多様な音韻交替が,タミル接触言語では日本列島(一部,韓半島南部)内部で生じた可能性が高いということである.


それ故,日本語方言諸語,例えば筑紫方言を筑紫語という表現に置き換えてみると,列島内部で祖語をタミル語とする系統樹のようなものができあがるであろう.ただ,日本列島内部での各国語(筑紫語,近畿語,江戸語,秋田語など)は,印欧諸語と較べると接触しあって往古の中央方言があるときは地方方言になったり,またその逆もあり,田中克彦氏のいわれる「チンピラ文法学派」(青年文法学派)のいうような,厳密な音韻対応は得られないであろう.